お通夜、お葬式のお勤めに行ってきました。
今回は、事故死された方の葬儀でした。
寂しさが伝わってくる
僕も先月お会いして元気な姿を見ていたので、まさかこんな事でいきなり亡くなるなんて…と驚きました。
その方はお寺のこと、建物のことも常に心配してくださっていた方で、積極的な方が一人減ってしまうのは
お寺としても痛手だなぁと思います。
ご自宅の納屋には使っておられた農作業道具がたくさんあって、
つまりそれはもう使われることがなくなってしまったわけですが、そういう品々を見ていると、
もう使う人がこの世に存在しない寂しさと、また地域の農業においても担っていた方が居なくなってしまうことの残念さで泣きそうになりました。
でも、これはこれでお役目を全うされた。終えられたんだ、と自分に言い聞かせる。
そして自分がその期待や担うべきことを考える。
自分は死に対して何を準備しようか、とも考える。
命は有限であること、事故には気を付けなければいけないこと、法事においては僕は何ができたか、できていなかったか、僕は仏への信頼、感謝はあるのか。それを仏はどうみているのか。
そしてこの葬儀をご縁に、人のつながりができたりする。話す機会ができることがある。
いろんなことを考えました。
帰り際には「ありがとうございました」と見送られるのですが、僕のほうこそこのような場を有難うございました、です。
参列された皆さんにとっても、亡くなった方を通して伝わってくるコトを受け止められた葬儀でありますように。
今日の一品
仏は僕たちのことをどう見ているのだろうか。仏の救いとは…