賢者モードと強欲モード

最近は近隣の報恩講シーズンでもあり、また別院でも法話があったりして、仏法に触れる機会が増える。
覚えの悪い(ということはまだまだ仏法をアテにしていないってことか)僕にとっては大変有難い。

しかしやはり家に帰れば「現実」や「世間」が待っていて、その忙しさ、辛さ、欲深さの前に今日のお話は頭の隅に追いやられ、忘れられてしまう。

このように賢者モードと強欲モードを行き来している僕。

ぶれまくっています。いっそ強欲世界でいいです、なんて言ってしまいそう。

しかしこのような悩みはとっくの昔に同じように体験している方がおられた、ということをご法話で聞いた。

 ある人が思っている通りをそのままに打ち明けて、
「 わたしの心はまるで籠に水を入れるようなもので、
ご法話を聞くお座敷では、ありがたい、尊いと思うの
ですが、その場を離れると、たちまちもとの心に戻って
しまいます 」 と申しあげたところ、
蓮如上人は、 「 その籠を水の中につけなさい。

わが身を仏法の水にひたしておけばよいのだ
」 と
仰せになったということです。

 「 何ごとも信心がないから悪いのである。
よき師が悪いことだといわれるのは、他でもない。
信心がないことを大きな誤りだといわれるのである

とも仰せになりました。

(蓮如上人御一代記聞書 88)

アドバイスを貰えて助かった!と喜ぶと同時に、
自分のそばにこんな素晴らしい教えがあったことに今更気づくなんて、
勿体ない生活をしていたなあと振り返るところです。