ただただありがとうと感じることの難しさ。

友人にいろいろと世話になることがありました。

これは大きな「貸し」でしょうか?どうすればいいのでしょう??

探していたギターを見つけてくれた友人

先日バンド仲間でもある友人から写真が送られてきました。
それはなんと、僕が先日リサイクルショップで見逃し三振したギターだったのです。

「別のリサイクルショップにあったよー。連れてってあげまっせ!」

と強力な後押しまでつけて。

買うべきか数日間悩んだ後(この辺の顛末は機会があれば)、連れて行ってもらうことにしました。

昔はよく二人で出かけていたもんですが、お互い結婚してからはなかなかゆっくり話す機会もなく、クルマにはまっていたころの話や、今の自分たちのバンドのことなどを車中で話しました。

…嫁さん以外の大人とゆっくり話すのは久しぶりです(゚∀゚)。
もちろん、男ですよ。

お返しするどころか逆におごってもらうという

お店にギターは鎮座しておりました。…売れてなかったセーフ。

ギターに着ける付属品選びも友人がアドバイスくれました。

てな感じでなんやかんやでお買い上げ。

せっかくいろいろと面倒見てもらったので、何か飲み物でもどう?と誘うと、

「oxygentukiのギターお買い上げを祝して買ってあげよう!」

ときました!いやいやいや、それはあかんやろ!と言っている間に先に自販機にコインを入れられてしまいました。
こうなると素直にいただくほかありません。

お世話になりっぱなしだがそれでいいんだと思う。

そして家まで送ってもらい、次のバンド練習の約束をして別れました。
欲しい物が手に入った高揚感もあるし、話もできてよかったし、楽しい時間を過ごしました。

結局、

  • 偶然とはいえギターを見つけてもらう
  • 連れて行ってもらう
  • 買い物アドバイスもらう
  • コーヒーもらう

ちょっと細かいかもしれませんが、こんだけしてもらっているわけです。何かお返しを…と思っても、先にコイン入れられてしまうのがオチ。
ちょっと敵いませんな(゚∀゚)。

彼はでも、僕が楽しむことを、自分の楽しみの一つとしてみてくれたんじゃないかと思います。
何も考えてないかもしれませんけど。そして、お返しとかを望んだりするような人物でない。

僕の頭が、損得とか、借りとか貸しとか貢献とかでちょっとがんじがらめになっていたのでしょうか。

「ありがとう」に心の焦点を合わせることが難しくなってんだな。お返しを意識してしまう。

そういえば、ただ念仏、ということもこのように難しいことなんだなとふと思いました。

今日の一品

一心に南無阿弥陀仏、ということも、お供えがいるとか罰があたるとか考えてしまって難しいもんです。