常識に染まった自分に問い掛け続ける。仏教本の読書。

人間の常識と自然の道理が合致しているとは思い難い世の中。
仏さんのお慈悲とは?本当に大切なこととは?
それに気づくために、サッと読める解説本を読むことにしました。…え?お経じゃないの?

より坊主になりたい!と思っています。が。

修理生活…もとい、坊主生活のoxygentukiでございます。昔からなんですけど、生活がどうも坊さんから離れてきてしまっている感があります。
普通の家庭に、少しお寺の行事が入っている程度なような、そんな生活です。それ故に考え方や感じ方が坊主らしくない!フツーの常識に沿った、単なる善人ぶってる人、になってる危機感を感じます。このままでは色んな意味でイカン…もっと坊さんになりたい!そう思うわけです。

携帯できる解説本を読んでミニマムスタートを図る

そんな中、この小さな本に出会いました。

この本は浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の言葉を短く切り出し、現代語訳と解説を付けたものです。全部で31の言葉があって、カレンダーに合わせて1日に一つ、読み進めるように作ってあります。いやいや、ちゃんとお経の本とか読みなさいよ、という向きもお有りでしょうが、僕はどうにもダメで、読み切る時間的、心情的余裕がありません。
それにお経の本には解説や訳が付いていないので、覚えはできても頭に入ってこないのです。まあ言い訳ですが!ふと、聖人が『ただ南無阿弥陀仏を称えること」を勧められた理由は、僕がこの短い本を選ぶ事と通ずる点があるんじゃないかとも思いました。

「小さくても着実に信じる(行ずる)事」…ん〜常識的でイマイチな感想ですかねぇ。

スッと入ってくる言葉は少ないが問いを持つきっかけとして

しかしこの本、解説があまり心に響かない。浄土真宗の出版物独特の言い回しが多くて理解がしにくい。中古で1円なのもうなずけます。「常識的」に考えれば。
この本だけでは心のモヤモヤは解決できないな…という感想です。しかしこれはつまり、この本から何か「心の違和感」を発生させて、「これって何だろう」と自分に問いを持つことがこの本の役目ではないかと思うのです。やはり与えられるだけでなく、自分自身で追い求め続けることが必要なのですね。この本は毎日読み進めることを目指して作られています。
読み続け、自分自身の心と向き合っていこうと思っています。