理解を超えた慈悲を授かる。幸せは不思議なところから。

僕は肌がキレイなわけでもなく、これについて昔はよく悩みました。

中学生にもなると、見た目も気にする年頃で、いろいろ薬試したりもしました。

クレアラシルとか懐かしいですね。肌にしみるのを我慢してニキビ予防してたのを思い出します。

●身体のことを笑いのネタにしたらあかんと思う

特に気にしていたのが鼻です。

ある日同じクラスの男に「いちご鼻」とからかわれ、以後それが続きました。

僕もなんとか言い返してやろうとそいつの名前をネタに対抗しましたが、いまいち勝った感じがしません。

あのときの僕は傷ついていたのかどうか、「やめてくれ」と言えなかったのはなぜだったのか。

感情をあらわにすることをためらっていたんだろうか。

言い返されたあいつは傷ついていたんだろうか。

今となっては考える気力がないです。記憶のふたを開けるのがめんどくさい。


●愛されることは小さな不思議

今はその「いちご鼻」は、嫁さんが喜んで角栓とりをしてくれます。

これをやるのが好きでしゃあないそうで。量が少ないと「つまらん」と怒られ?ます。

ホントに自分の理解を超えた慈悲ってのがあるんだなぁと実感しているところです。

こんな時間差で鼻について考えるとは思ってもみませんでした。

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