仏さんが僕を助けてくれている

ここに万年筆がある。この前アウトレットで買ってきたLAMYの万年筆、サファリだ。

キャップ外して書きはじめる。ちょっと感動。ボールペンでは得られない軽やかさ。

この万年筆、自分で選んで、自分で稼いだお金で買った、と思っているが、

ふと、これも仏さんの僕への働きかけではないかという気がしてきた。

聞けば仏さんというのは様々な手段を講じて僕らをお助けになるという。

【 遊煩悩林現神通 入生死園示応化 】

「悩み多き世界(煩悩の林)に還り来ては自由自在に人を導き(神通を現し)、迷いの世界(生死の園)に入りては、相手に応じた方法で救いの働きをする(応化を示す)」

(浄土真宗本願寺派 日常勤行聖典 正信念仏偈 より)

 この万年筆で、仏さんは僕に何かを伝えようとしているんじゃないだろうか。

というか、この万年筆のいわれとか、構造こそが仏さんのお救いなのかも。
ていうか、自分で選んで買った、と思っているけど、仏さんが僕の背中を押していたんじゃないだろうか。
え、結構買うのに悩んだけど、それすら仏さんが僕にお金や物の扱いについて考えさせるための計算だったのだろうか。

こう考えると、仏さんスゲー!ってなるし、僕自身はなんにも自分で考えていなくて、というか僕みたいな小さなな人間が決定できることなんて何もなくて、そして成功できることなんてなんにもなくて、仏さんのサポートでなんとか生きてるような感じがして、すっごい謙虚になる。

自分の人生についても客観的になる気がする。