食事で「命の可能性」をいただく

最近の父(住職)の法話の中から、すごい言葉に出会いました。自力ではなかなかこういうことに気が付きません。

父「食事をする、つまり生き物の命をいただくということは、その生き物の『可能性』をいただくことです」

僕「えっ」

そうか、自分が食料として命をいただかなければ、その命の続き(可能性)があったのかもしれない。
僕はその可能性を殺し、潰してしまったのだろうか…いや、
きっと、物理学のエネルギー保存の法則のように、僕の体内、精神の中で、その続きを走っているに違いない。
まだ命の可能性を放っている。
ような気がする。

食欲、空腹を満たすだけじゃなくて、可能性をいただく。
まだ続きがあるエネルギーが僕を突き動かす。
僕がいただいた命たちが僕を動かしている。

そう思うと、なんだか元気が出てきた気がします。ありがたいことです。

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