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ひとつ、葬儀が終わった。
亡くなったのは60代の方で、喪主さんは僕よりも若い。
お通夜での控室にみえた時には、涙ぐみながら「親父のためにもよろしくお願いします」と頭を下げられた。
葬儀は遺された人のためにある、と意識はしている。
しかし、今回、僕に向かって仏の世界からどういった呼びかけをされていたのか、
僕は気づくことができなかった。
只々、家族の、親父さん自身の無念さを想像し、気の毒に思うしかなかった。
この葬儀を、僕はどう受け止めればよかったのだろう、
と嫁さんに話したら、
「早く亡くなったとは思うけど、子どもさんたちがいて、皆それぞれ独立して、
それぞれにお孫さんもいてはる。
親父さんは天命を全うしはったんちゃうかな?」
そうか、命としての努めを十分に果たされた、ということか。
親父さんはこれでよかったんだ、と、少しほっとした。
命の持つ努めは様々。
その命を受け止める心を整えたい。